こんにちは。織田です。
性格って合う合わないってありますよね。僕も性格が合わない人がいるんですよ。KさんとYさんは一生僕のことが嫌いだと思います。何か原因があるわけではなく単に性格が合わないんです。
で、どういうことかいいますと、本心では違うことを思っているのに表面的な会話をする人とは会話が噛み合わないんですね。
太宰治はそのところをすごく繊細に受け止めているなと共感します。
太宰の友達「それじゃあ君、世間が許さないよ」
太宰「(世間ではなく君がだろ)」
太宰の友達「もっと世間の事を考えたらどうなんだ」
太宰「(世間ではなく君だろ)」
太宰の友達「君のことを思って言ってるんだからな」
太宰「(僕のことではなく君の為に言っているんだろ)
こんな感じの内容だったかと思うのですが、太宰治の解釈は僕の心の渇きを癒してくれます。
僕はさすがに太宰治まで偏った天才的思考には遠く及ばないのですが、日常生活で口論になる事が多々あります。
たとえば小学校のときの給食の話なのですが・・・
デザートにプリンでますよね。
僕あれ大好きなんですよ。
僕大好きだからガツガツ食べるんですが、それをみて
プリン嫌いな人は給食を残したら先生に怒られるから僕にプリンあげようとするんですよ。
でもそもそも僕プリン嫌いな人っていないと思っていますから(ここが僕の欠点なのですが・・・)
友人「(プリン嫌いだから)プリン食べる?」
僕「(僕が美味しそうにプリン食べてるから譲ってくれているんだ。悪いから)食べないよ」
で、僕は休みの人の余っているプリンを食べるんです。
友人「何でプリン食ってんだよ(怒)」
僕「???」
友人「だから何でプリン食ってるんだよ(怒)」
僕「好きだからだよ(イライラ)」
友人「俺のプリン食わないって言っただろ(怒)」
僕「さすがにそれは悪いだろって」
友人「俺はプリン嫌いなんだよ(怒)」
僕「最初にそれ言えよ(激怒)」
そう僕は今になっても小学校の時から変わらず、こういうケースで嫌われることが多々あります。
αという行為を織田にしてもらいたい時に、「織田αする?」とか「αしたい?」
って聞く人と性格が合わないんです。
「αしてもらいたいんだけど、いい?」って聞いてくれるのが理想です。
が現実はそうとはいかず「αするついでにβも俺の為にしろよ!」というジャイアン見たいな心の持ち主に好かれるわけでございます。
何かこんなことを書いていると僕はつくづく営業に向いていないなと思ってしまうのです。
心理学の考え方の根底に「他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来だけだ」というのがあるらしいです。(何かの本に書いていました)
う~ん。これからも営業マンとして頑張る為にも、より豊かな人生を歩む為にも自分が変わらなきゃと思う今日この頃でした。
あ、好きな言葉は向上心です